「着想の経緯」の経緯はピント外れになりやすい箇所です。文字通りに解釈して、その研究を思いついたきっかけ、を書いてはいけません。
例えばこうです。
これまで、地球外生命体の探索においては、火星やエウロパ(木星の衛星)、タイタン(土星の衛星)など、地球と比較的似ている天体や衛星に対して生命体の存在可能性が検討され、その過程で〇〇〇など新しい発見がなされてきた。申請者らもエンケラドス(土星の衛星)の氷粒子からリンが検出されたことをきっかとして、地球外生命体の存在可能性を検討してきた。
しかし、地球外生命体が存在すると仮定すると、その生命形態や特性は地球の生命とは大きく異なっている可能性が高いにもかかわらず、これまでの研究は地球の生命の特徴との類似性を基にした探索が主流であり、地球外生命体の異質性についての理論的および実験的な研究が不足していた。これに対して申請者は、〇〇〇が〇〇〇であることから、地球外生命体の異質性を理解するためには、極端な温度や圧力、放射線やpH環境などの条件下で生命が存在できるかどうかを実験的に検証するための枠組みとモデリングから研究を行う必要があると着想した。実際、〇〇〇は○○○であると報告されている。
こうしたアプローチは従来は探査対象とならなかった〇〇〇や〇〇〇などの領域に対して、新たな視点から生命の存在可能性を検討することにつながることから、地球外生命の探査における全く新しいアプローチにつながる画期的な研究である。さらに、実験室での実験を通じて、地球外の生命形態に適した探査技術や検出方法は探求しようと本研究は、生命探索における究極の異質性への挑戦と位置づけられます。
この文章を例に、以下のポイントを見ていきましょう。
ポイント:着想の経緯とは「研究アプローチの妥当性」であり、「思いついたきっかけ」ではない
これに尽きます。よく冗談で
というのがありますが、もちろんこれは良くありません。なぜこれが良くないのかを真面目に考えることが、「着想の経緯」とは何かについての理解につながります。
審査員の立場から考えてみる
あなたが審査員だったとして、「散歩をしていて思いついた」という着想の経緯が書かれている申請書をどう評価しますか?ちゃんと評価しようとしても評価しようがないと感じると思います。なぜなら、散歩をしていてその研究を思いついた、という事実に良いも悪いも無いからです。
散歩をしている時だったら高く評価され、シャワーを浴びている時だったらダメ、などはありませんし、申請者が散歩をしている時に思いついたと言っている以上、「そんなのはけしからん、いますぐ撤回しなさい(忘れなさい)」とも言えません。誰かが何かを考えることは自由です。たとえば「日本でダイヤモンドがザクザク採れる」とあなたが考えたとして(もちろんそれは事実ではないのですが)、そう考えたこと自体は誰も否定することができません。考えてしまったのですから。
この着想に対して審査員の立場から評価できるのは申請者がそう考えたことは妥当かという点についてのみであり、申請者がどのようなきっかけでそう考えたのかは評価しようがありません。ここを見誤るとピント外れの着想の経緯になります。
申請者の立場から考えてみる
散歩中にある研究方法を思いついたとして、それを書いても評価されない(評価しようがない)ことを説明しました。しかし、申請者の立場から考えた時に、散歩中に思いついたことはいったい何でしょうか?
確かに、アイデアはふとした瞬間に降りてきますので、散歩中に「この研究方法ならうまく行くかも!?」と思いつくこともあるでしょう。しかし、そうして思いついたアイデアを実際に実施するかどうかとは別の話です。
一般にある目的を達成するための方法は複数考えられますが、限られた研究期間・予算で成果をだそうと考えた時に、そうしたアイデアの全てを扱うわけにはいきません。あるアイデアを実施するかどうかは、どの方法ならもっとも確実に(あるいは、素早く、大きないインパクトをもって)目的を達成できるか、という実現可能性の観点から他のアイデアと慎重に比較検討した結果であるべきです。
そう考えると、着想の経緯で書くべき内容が見えてきます。ここで申請者が審査員に伝えるべきは、他の方法と比較した時になぜ、このアイデア・研究アプローチがもっとも妥当だと考えるに至ったのか?についてです。