作文技術に関する本は数多く出版されています。短い文が良い、主述は一致させるなど、表面的なテクニックについては、いくらでも解説できますが、それが作文技術の本質的な向上につながるか?と言われれば、そうではないと言わざるを得ません。
良い文章のパターンを真似て、細かい技術を駆使するのこれらの「技法」は、期限が迫っている中で申請書を書き上げるためにはしょうがありませんし、それで可能性が上がるのであれば積極的に用いるべきです。しかし、もっと長期スパンで考えた時に、作文技術(伝える力)を向上させずに、アカデミアに残ることは不可能です。私の知っている偉い先生は皆、上手な文章を書く方でした。
「研究者は陰キャ(陰気なキャラクター)でもできる」「社会人として他者とコミュニケーションをとるのが苦手だから研究者になる」といった主張をしばしば見かけますが、私はそうは思いません。研究者ほどコミュニケーション能力を求められる職業はありません。
頼まれてもいないのに学会等に出向いて自分の成果を皆の前でアピールし、この研究がいかにすごいのかを必至で論文に書くことが求められる研究者にとって、作文技術やプレゼンテーション能力(人にわかりやすく伝える力)は必須の能力です。研究→発表→研究費→研究費…というサイクルにおいても、発表して研究費獲得までに至るには、この能力が欠かせません。
作文技術の向上は一朝一夕ではなし得ませんが、時間のあるときにちょっとずつ磨き上げれば、それは一生の宝になることでしょう。そして、これはあくまでもわかりやすく伝える能力であり、文筆家のような名文は求められていません。その分野に必ずしも詳しくない人であっても、そこそこ理解できる(理解した気になれる)シンプルな文章で十分なのです。
良い文章をたくさん読む
良い文章を書くためには、何が良い文章なのかを知る必要があります。ライトノベルや漫画のようなくだけた文章は読みやすく娯楽としては良いですが、申請書のための文章技術を学ぶためには不十分です。
国語の教科書(特に明治〜昭和初期の作品)には現代に通じる名文が数多く見られます。もちろん、まだ現役の作家にも良い文章を書く作家は数多くいますが、時代を超えて読み継がれる作品は時の試練を受けている分だけ、名作である可能性が高まります。夏目漱石など誰でも名前を聞いたことのある作家の作品を乱読するのはおすすめです。
申請書をたくさん書く
科研費・学振に限らず申請書を書くチャンスは数多くあります。なぜ、ぶっつけ本番をしようとするのでしょうか?プロと素人の違いは単純に練習量の差だと言います。練習もせずに上手に申請書を書ける訳がありません。特に大学院生の場合、学振(DC)に通るチャンスは3回しかありません。どうか練習を重ねてから本番に臨んでください。
申請書をたくさん書くと良い効果がいくつかあります
慣れる
申請書が苦手と感じる理由の大部分は書きなれていないからです。研究費が欲しい、生活費が欲しい、賞が欲しい、昇進したい、と決めたのなら、それが実現するまで申請書を書き続けてください。同じような内容を書き続けると、最初ほどは苦労せずに書けるようになります。同じような内容ですから当然と言えば当然なのですが、それでいいのです。とにかく、まずは今までのレベルの文章で良いのであればすぐに書けるという状況に持っていくことが重要です。
使いまわせる・ブラッシュアップできる
同じ内容の文章を何度も書くわけですから、背景や目的、研究の独自性などはそうそう変化しません。一度書いたものをコピー&ペーストできて長さの微調整だけで済むのであれば、これほど楽なことはありません。こうした申請書における「資産」を築くためにも、余裕のある時期も書き続けることが大切です。
申請書をたくさん書き、毎回の推敲の中で申請書における文章は着実に良くなります。こう書いた時は審査員に受けたが、こうだとダメだったのようなこともわかってくるようになるでしょう。こうして、良い文章の引き出しをたくさんもっておくと、本番時にゼロから書かずに済むようになり、時間を有効に使えるようになります。
上手になる
これらの総合力として、文章が上手になります。私たちが言葉を無意識で使えるのは幼いころからたくさん話してきたからです。きちんと考え、きちんと推敲をする、本番環境でたくさん申請書を書けば、文章が上手になるのは当然です。申請書とは、人生において本当に作文が必要となる時(学振だったり、昇進だったり、大型研究費だったり)までに、どれくらいその本番環境を用意できるか?というゲームでもあります。業績だけ優れていてもうまくはいかないので、業績と文章力の両輪を磨き続ける必要があります。
そして、文章力は、何回バットを振っても良いゲームで、しかも振るたびに上手になるのであれば、振り続けない手はありません。これを面倒だと思うのであればそれまでです。
書き直す・見直す、そしてそれを可能にするだけの時間的余裕を持つ
私が添削する申請書の中には「本当に書いた後見直したのか?」と聞きたくなるようなものもあります。どんなに上手な人でも、一回で良いものを書き上げられるわけではありません。あの文豪ですら推敲していたというのに!
文章とは、書いては直し、直しては書くという地道な過程を経て徐々に良くなっていくものです。また、文章構成の不備は気づくのが難しいのですが、細かな表現が修正されればされるほど、構成の不備が目立つようになるので気づきやすくなります。こうなってくると、小手先の文章表現ではどうにもならず、根本的に書き直さないといけなくなるはずです。しかしそれは、今よりも良いものができる前触れです。
文章構成の見直しの段階まで持っていいくためには膨大時間がかかりますし、書き直すと決めた後もこれまでに費やしてきた時間ほどではないにしてもそれなりの時間がかかります。そのため、時簡に余裕がない状態で申請書を書くと文章構成の粗に気づけないか、気づいたしても時間切れで修正できないことになってしまい、本当にすばらしい申請書を作り上げるチャンスを失うことになります。
早くから申請書に取り組んだ人だけが、一段階上のレベルに到達できるのです。