作文技術に関する本は数多く出版されています。「短い文で書く」「主語と述語を対応させる」「修飾語の位置に気をつける」「一文一義で書く」といった表面的なテクニックについては、いくらでも解説できます。もちろん、これらは役に立ちます。締切が迫っている中で申請書を書き上げるためには、こうした技法を使ってでも、少しでも読みやすい文章にするべきです。
しかし、こうした小手先の技術だけで、作文技術が本質的に向上するわけではありません。申請書で本当に必要なのは、きれいな文章を書く力ではなく、自分の考えを整理し、相手に誤解なく伝える力です。これは、単なる文章表現の問題ではなく、研究者として生き残るための基礎体力です。
研究者は、研究だけをしていればよい職業ではありません。学会で自分の成果を説明し、論文で研究の意義を主張し、申請書で研究費を獲得し、共同研究者や学生に考えを伝える必要があります。研究→発表→研究費→研究というサイクルを回すためには、研究内容を他人にわかる形で伝える力が欠かせません。
「研究者は陰キャでもできる」「人とコミュニケーションを取るのが苦手だから研究者になる」といった話を見かけることがありますが、私はそうは思いません。むしろ、研究者ほどコミュニケーション能力を求められる職業は少ないと思います。頼まれてもいないのに学会に出向いて自分の研究を発表し、この研究がいかに重要かを論文や申請書で説明し続ける職業だからです。
ここでいう作文技術とは、文筆家のような名文を書く力ではありません。その分野に詳しくない人が読んでも、そこそこ理解できる。少なくとも、理解した気になれる。そうしたシンプルで誤解の少ない文章を書く力です。申請書に必要なのは、文学的な美しさではなく、審査員が短時間で内容を理解し、評価できる文章です。
作文技術は一朝一夕では身につきません。しかし、普段から少しずつ鍛えておけば、一生使える能力になります。研究者として長くやっていくのであれば、文章力は論文数や実験技術と同じくらい大切な資産です。
良い文章をたくさん読む
良い文章を書くためには、まず何が良い文章なのかを知らなければなりません。読みやすい文章、論理の流れが自然な文章、難しい内容を簡単に説明している文章に多く触れることで、自分の中に「良い文章の基準」ができます。
ライトノベルや漫画のようなくだけた文章は、娯楽としては読みやすく、学ぶ点もあります。しかし、申請書の文章技術を学ぶという目的では、それだけでは不十分です。申請書では、くだけた読みやすさではなく、正確さ、論理性、簡潔さ、説得力が求められるからです。
国語の教科書に載っているような文章には、今読んでも通用する名文が数多くあります。特に、明治から昭和初期の作家の文章には、現代の文章とは違う硬さはあるものの、論理の運び方や言葉の選び方に学ぶところがあります。もちろん、現役の作家にも良い文章を書く人はたくさんいますが、長く読み継がれている作品は、時の試練を受けている分だけ、文章として学ぶ価値が高い可能性があります。
夏目漱石のように、誰でも名前を聞いたことがある作家の文章を乱読するだけでも、自分の文章感覚は少しずつ変わっていきます。良い文章を読んでいない人が、良い文章を書けるようになるのは難しいです。文章力を上げたいなら、まず読む量を増やすことです。
申請書をたくさん書く
作文技術を上げるうえで、最も重要なのは実際に書くことです。科研費や学振に限らず、申請書を書く機会は数多くあります。民間財団、学内助成、若手向けの賞、留学支援、共同研究費など、探せば応募できるものは意外とあります。にもかかわらず、多くの人は本当に重要な申請書を、ほとんど練習なしのぶっつけ本番で書こうとします。
プロと素人の違いは、才能だけではなく練習量の差です。練習もせずに、いきなり上手な申請書を書けるわけがありません。特に大学院生の場合、学振DCに応募できるチャンスは限られています。重要な本番を迎える前に、できるだけ多くの申請書を書いておくべきです。
申請書をたくさん書くことには、いくつかの効果があります。第一に、慣れます。申請書が苦手だと感じる理由の大部分は、単純に書き慣れていないからです。研究費が欲しい、生活費が欲しい、賞が欲しい、昇進したいと本気で思うなら、それが実現するまで申請書を書き続けるしかありません。同じような内容を何度も書いていると、最初ほど苦労せずに書けるようになります。これは当たり前のことですが、とても重要です。まずは、今までと同じレベルの文章でよいならすぐに書ける、という状態に持っていくことです。
第二に、使い回せる文章が増えます。背景、目的、研究の独自性、自分の研究の位置づけなどは、申請書ごとに完全に変わるわけではありません。一度きちんと書いた文章は、別の申請書でも使えます。もちろん、そのまま貼り付けるだけでは不十分ですが、長さや強調点を調整するだけで使える文章があると、申請書作成はかなり楽になります。こうした文章の蓄積は、申請書における資産です。
第三に、推敲を重ねることで文章そのものが良くなります。何度も申請書を書いていると、「この説明は伝わりやすい」「この書き方だと評価されにくい」「この導入は使い回せる」といった感覚が少しずつ身についてきます。毎回ゼロから書くのではなく、良い文章の引き出しを増やしておくことで、本番時には構成や主張の調整に時間を使えるようになります。
最終的には、こうした経験の積み重ねによって文章が上手になります。私たちが言葉を自然に使えるのは、幼いころから何度も話し、聞き、読み、書いてきたからです。申請書も同じです。きちんと考え、書き、見直し、また書く。その回数が増えれば、文章が上手になるのは当然です。
申請書作成は、人生において本当に文章力が必要になる場面、たとえば学振、昇進、大型研究費、重要な賞などに向けて、どれだけ本番に近い練習を積めるかというゲームでもあります。業績だけが優れていても、うまく伝えられなければ評価されません。業績と文章力の両方を磨き続ける必要があります。
文章力は、振れば振るほど上手くなるバットのようなものです。何回振ってもよく、しかも振るたびに上達するのであれば、振り続けない手はありません。これを面倒だと思うのであれば、それまでです。
書き直す・見直す時間を確保する
私が添削する申請書の中には、「本当に書いた後に見直したのか」と聞きたくなるものもあります。どれだけ文章が上手な人でも、一回で良い文章を書き上げられるわけではありません。あの文豪ですら推敲を重ねていたのです。
文章は、書いて、直して、また書くという地道な過程を経て、少しずつ良くなります。最初の段階では、誤字脱字や言い回しの粗が目立ちます。しかし、それらを直していくと、今度は文章構成の不備が見えてくるようになります。話の順番がおかしい、背景と目的がつながっていない、方法が目的に対応していない、独自性が別の場所に書かれている。こうした問題は、細かな表現を整えた後にようやく見えてくることが多いです。
ここまで来ると、小手先の表現修正ではどうにもなりません。根本的に構成を見直し、場合によっては大きく書き直す必要があります。しかし、それは悪いことではありません。むしろ、申請書が一段階良くなる前触れです。構成の不備に気づけるところまで推敲が進んだということだからです。
問題は、そこまで到達するには時間がかかることです。文章構成の粗に気づくまでにも時間が必要ですし、書き直すと決めた後にも、当然それなりの時間が必要です。締切直前に申請書を書いていると、構成の問題に気づけないか、気づいたとしても時間切れで修正できません。その結果、本当はもっと良くできたはずの申請書を、その手前の段階で提出することになります。
早くから申請書に取り組んだ人だけが、この一段階上の推敲に到達できます。締切直前に書き始めた人は、誤字脱字を直すだけで精一杯です。一方で、早く書き始めた人は、文章の表面を整えたうえで、構成そのものを見直すことができます。この差は、申請書の完成度に大きく影響します。
作文技術を本当に高めたいのであれば、良い文章を読み、申請書をたくさん書き、何度も見直し、必要なら大きく書き直すことです。近道はありません。しかし、この能力は一度身につけば、申請書だけでなく、論文、プレゼン、授業、共同研究、昇進審査など、研究者としてのあらゆる場面で役に立ちます。文章力は、研究者にとって一生ものの武器です。