どんなテーマがおもしろい(良い)研究テーマと言えるのでしょうか。
自分が実験をやってて楽しい研究テーマ?
研究のサイクルは申請書による研究費獲得→研究→論文です。自分が楽しい研究と世の中に価値がある研究は必ずしも同一ではありません。研究費を獲得するプロセスが組み込まれている以上、自分の興味を満たす研究だけは早晩行き詰まってしまいます。当人の意識がどこにあるにせよ、ある程度は研究費を稼ぐことを念頭に、他者・社会にとって価値のある研究を行なう必要があります。本当にお金持ちで、趣味として研究を続けるのであれば自己満足の研究でも何も問題がありませんが・・・
「研究者の純粋な興味に基づく研究を推進すべき」だとか、「社会に役に立つことを前面に押し出すと基礎研究が近視眼的になる」とかいった意見はその通りだと思いますが、プロを目指すのであれば与えられた環境の中で最大のパフォーマンスを発揮することをまず考えないといけません。
「宇宙の果ての探索」などの未解決問題?
確かに解決できたらすごいですよね。私も知りたいです、宇宙の果て。しかし、どんなに魅力的な問題であっても、それだけでは研究に取り組む根拠としては不十分です。なぜなら、現在の技術や知識では解けない問題は数多くありますし、解決できるにしても膨大なコストや長い時間がかかる場合もあります。つまり、ある問題が未解決である背景には、それなりの理由があることがほとんどです。
そのため、他の人が解けなかった未解決問題に取り組むときには何かしらの勝算(アイデア)が必要です。私たちの時間や資金に限りがある以上、具体的なアイデアと見込み(傍証・予備データ)などがない限り、単にテーマの魅力だけで手を出すべきではないのです。テーマが魅力的である分だけ撤退が遅れ、取り返しのつかないことになります。
また、よくあるテーマ設定として「〇〇〇は明らかにされていないので、申請者が初めて取り組む。」というものがありますが、これも良くありません。研究の本質は未解決問題の解明ですから、単に「誰もまだ扱っていない」という理由だけでは不十分(というか当然)です。ある問題が「未解決問題である」ことは、必ずしも「取り組む価値がある」ことを意味しているわけではありません。世の中には、「未解決だが研究する価値のない」ものや、「未解決で重要な問題であるが、解決する方法が現時点では存在しない」ものもたくさんあります。
さらに、「もしそれが本当に取り組む価値がある問題であり、解決方法も世の中に存在するのであれば、既に誰かが取り組んでいるはずである」という指摘についても考慮すべきです。なぜ他の人には解決できない問題を申請者なら解決できるのでしょう?この点についても、説得力のある答えが求められます。
結局、おもしろいテーマってなんなの?
ずばり、
おもしろいテーマ = 1.問題の重要性 ☓ 2.どれくらい理解できたか (☓ 3.かかる時間 ☓ 4.多様性)
です。
では、おもしろいテーマを構成する「問題の重要性」「どれくらい理解できたか」「時間」「多様性」とは具体的に何のことでしょうか。
1. 問題の重要性
これはわかりやすいですよね。「宇宙の果ての探索」は誰もが重要性を認めているので、問題の価値としては十分すぎるほどです。逆に、「ニンジンは空を飛ぶか」や「私の家の庭石の産地はどこか」といった問題の価値は限りなくゼロに近いです。
問題の重要性をもう少し具体的に定義すると、以下のようになります。
重要な問題 =
- 未だ意見が対立しており、決着のついていない問題
- これまでの考え方を根本から見直さないといけない問題
- これからの研究の方向性を決定づける問題
いずれも、申請者だけでなく、当該分野あるいは周辺関連分野、社会全体に影響を与える内容です。すなわち、影響する範囲が広いことが重要性の鍵となっています。
2. どれくらい理解できたか、どれくらいのものが生み出せるか
どれぐらいのレベルで問題が解けるか(解けそうか)です。もちろん簡単な問題ならほぼ100%解決できるでしょう。しかし、「手に入りやすいものは価値が低い」という言葉にもあるように、簡単な問題の価値は低く、そうしたものを研究対象としてもあまり意味がありません。
達成度と問題の価値の両方を考えながら、テーマを選ぶ必要があります。なるべく重要な問題で他の人にはできないが、申請者ならば60-80%くらいで解決できる問題を狙うことになります。100%の達成度で理解することを目指すと膨大な時間を要するので、大枠での理解を目指すことがポイントです。ほとんどの場合大きなコンセプトを打ち立てた人が一番偉いので、細かな枝葉の問題の解決は他の人に任せておけば十分です。
3. かかる時間
重要な問題を解決できそうでも、時間がすごくかかるのであれば、研究すべき問題としては微妙です。大抵の研究費には期間が設定されていますし、私たち自身もお金を稼ぎ食べていかないといけないからです。
「科研費が3-5年しかなく、任期もあるので、じっくりと腰を据えて研究できなくなっている」という批判もあって、より長期にわたって受給可能な研究費もできつつありますが、それでも現在の状況における最適解は3-5年でそこそこのレベルで解決できる問題を扱うことです。
もちろん、一つのテーマを一生かけて取り組むというのは素晴らしいことですが、ここで問題にしているのはある特定の研究プロジェクトレベルでの話であり、解決までに時間がかかりすぎる研究はあまり良くありません。
4. 多様性
解く価値のある問題は多くの研究者が挑戦します。しかし、誰も挑戦しない問題が解く価値がないかというとそうではありません。研究テーマの流行や、問題の価値が広く共有されていないなどの理由によって放置されている研究テーマは数多くあります。また、同じような研究なら(何をもって同程度とみなすかはすごく難しいですが)、実施する研究者の属性が多様であることも重要な要素です。
そのため、審査員はなるべく研究の多様性を確保しようとする傾向にあります。具体的には、女性研究者・ひと昔前の手法を使った研究(一周回って新しい)や枯れた研究分野・マイナーな題材を用いた研究などです。若手枠や外国人枠といったものもこの範疇です。
問題の価値や解決度といった指標に比べると科学的な色合いは薄く、やや恣意的な基準ですが、それも含めて研究です。自分の専門分野が生かせる関連領域に飛び込んだり、異分野の例を参考に誰も挑戦していない解析に挑戦する、など戦略的に研究の多様性を生み出すことは、採択の可能性を高める有効な手段です。
面白くないテーマを考えた方が早いかもしれない
研究テーマ選びにおいて最悪なのは、「わかっていないから、やる」という理由だけでテーマを選定することです。繰り返しになりますが、わかっていない問題は山ほどある中で、なぜ、あえてその問題を選んだかを説明する必要があります。
また、やればできることだけ、特定の仮説の検証だけを研究テーマとするのも、面白みに欠けます。もちろん、こうした研究にも一定の価値はあるのですが、どうしても発展性に欠けます。研究スタイルによる所が大きいので、一概には言えませんが、面白いか面白くないかで言えば、後者でしょう。
似たような例に「銅鉄実験」があります。有名なので詳細は説明しませんが、銅でわかっていることを鉄に置き換えてやってみる、というやつです。これも、研究としては成立しているのかもしれませんが、どこまで価値のある問題かという点では疑問が残ります。
まとめ
研究というものを「未知の大海を渡る冒険」に例えてみましょう。これまでの研究者が築いてきた「知識」は、大海に浮かぶ飛び石のようなものです。私たち研究者は、その飛び石を一つひとつ確かめながら、最先端の知識がある地点、つまり「現在の飛び石の終着点」にたどり着きます。そして次に目指すべきは、まだ誰も足を踏み入れたことがない未知のエリアです。けれども目の前には、新しい飛び石が見えていない。これが「学問のフロンティア」の状況です。
ここから私たちができることは、大きく分けて2つあります。
- すでにある飛び石(知識)の間を埋めるような研究
- 自ら新しい飛び石をどこに置けばよいか考え、それを試みる研究
1つ目の「飛び石の間を埋める研究」は、たとえば既存の知識や仮説を少しずつ具体化していく仕事や、細かいデータの検証といったものを指します。これも非常に重要な作業です。しかし、このやり方では誰も行ったことのない未知の大海を切り開くことは難しいでしょう。
一方で2つ目の「新しい飛び石を置く研究」は、まさに”冒険”そのものです。まだ誰も測量していない海域に、地図を作るかのように「どこに飛び石を置くべきか」「どれだけの距離を飛べば次の目的地が現れるか」を考え、その仮説に基づいて行動します。このプロセスには当然リスクが伴います。海に落ちて失敗することもあるでしょう。それでも、一歩先に踏み出し、新たな知識の糸口を見つけることで、研究の新しい方向性や次の探求の道筋が示され、多くの研究者がそれに続いていくことができるのです。
重要なのは、飛び石を置く「方向性」そのものが、次の研究全体に影響を与える点です。一見するとその方向性が間違っているように見える場合でも、その挑戦が議論や新たな試行錯誤のきっかけを生み出すことがあります。結果的に、人類の知識が少しずつ拡大していくのです。これは、NatureやScienceといったトップジャーナルで重視される「インパクト」という概念にもつながります――つまり、どれだけ多くの人に影響を与えたか、どれだけ新しい波を巻き起こしたかを重視しているのです。
まとめると、「おもしろい研究」とは、未知の大海に新しい飛び石を置き、他の研究者にも影響を与えられるような挑戦的な研究のことだと言えます。その結果として道を間違えてしまったとしても、そこから得られる情報が次の探求に影響を与え、新しい知識を生む土壌になるのです。