まず、種本を紹介したいと思います。ランディ・オルソン (著), 坪子理美 (翻訳)『なぜ科学はストーリーを必要としているのか』です。著者はハーバード大を卒業後、アメリカでテニュア教授となってから、それを捨てて、ハリウッドへ入った変わった経歴の持ち主です。別でおすすめしている『イシューからはじめよ』でもコンサル→神経科学で博士号→コンサルという変わった経歴を持っています。科学者を経験している人が外から見ると色々と見えてくるのでしょうね。

この本はちょっと癖があります。本当に重要なことだけだと10ページもあれば十分かもしれませんが、その10ページこそが申請書や論文作成における本質的な部分を突いています。オススメですので、機会があれば読んでみてください。

申請書にはストーリーが必要だ

好きな映画やドラマ、アニメなどを思い浮かべてください。映画なら2時間程度、ドラマやアニメなら1時間程度の間なら、あなたは夢中で見続けられるでしょう。一方で退屈なプレゼンや講義、そして、退屈な申請書は10分もすれば眠くなってしまいます。

この違いはどこにあるのでしょうか?映画やドラマも見るまでは内容はわからないので、内容に対する事前の興味の差ではなさそうです。

これらの違いを生み出している決定的な要因こそが「ストーリー(物語)」です。 興味を引くような展開や見せ方、すなわち興味深いストーリーであれば観客の興味を引きますし、何が言いたいのかわからないものであれば、すぐに飽きてしまい集中力は続きません。

研究者は自分が見たまま、考えたままのことをなるべく脚色なくありのまま伝えたいと思っています。そこに勝手に手を加えることは捏造や誇張につながって科学的には正しくないことだからです。しかし、そんなことは本当に可能でしょうか?

えーと、まず今やっていることを終わらせないといけないな… あ、以前に研究していた、あっちの話ともつながりそうだな。でも、そのためにはコレとコレをしないとな。あーでもコレをするためにはアレも必要か。えーと、何を示せば良いんだっけ。あ、そうかそうか、…

こんな申請書はあり得ないと思うかもしれませんが、実際にこれに近い感じの申請書を書いてくる方はいます。以下はかなり実際の例に近いものです。

本研究では、〇〇〇を行う。なぜそれを行うのだろうか?それは、〇〇〇が△△△だからである。ちなみに、△△△というのは□□□のことである。さて、申請者はこれまでにこの□□□を独自の手法で研究してきた。この方法を用いて〇〇〇を研究した例はなく、□□□は

すべての情報を伝えればいい、というわけではない

私はドラマを見ないので良く知りませんが、「24」というドラマでは主人公の動きが24時間リアルタイムで映され、語の進行と現実の時間進行が同じ速度で進むリアルタイムなストーリー展開が人気であるということは知っています。

これを理想と考える科学者は多いのではないでしょうか? 「ありのままを示すことが客観的で正しい態度であり、面白おかしいところだけ切り取るのはフェアではない」と。

しかし、意味もなく、主人公がトイレに行くシーンや靴紐を結び直すシーン、は放映されているでしょうか?おそらくされていないと思います。なぜなら、このドラマを面白くする上で、これらを描写することには意味が無いばかりでなく、むしろ、一番伝えたいメッセージを伝えることの妨げになるからです。

申請書を書く際にも同じことが言えます。申請書で書かれる文章は全て、計画の妥当性・実現可能性・新規性を導くために存在し、それに関係のない文章は貴重なスペースを消費するだけでなく、申請者の主張をボヤケたものにします。

どうすれば良いのか

このように、ありとあらゆる情報を整理せずに列挙すると、審査員に申請書を理解してもらう、という点で極めて不利に働きます。そして、論の流れが整理されていないと、審査員だけでなく申請者自身ですらも、結局何を言いたかったのかを簡単に見失ってしまいます。

そうした読み手と書き手の混乱を極力減らし、自然な流れで論を展開するために考え出されたのが起承転結や『なぜ科学はストーリーを必要としているのか』で紹介されているABTやドブジャンスキー・テンプレートなどの文章校正の「型」であり、ストーリーなのです。

申請書を上手に書くための第一歩はこの型を理解することです。